
大久保たかのり−信念と歩み−
政治創世期
平成元年、釜石製鉄所の高炉の火が消え、製鉄の歴史に終止符が打たれました。
新しい街づくりに取組むため政治の道に志を立て、30才で釜石市議会議員に初当選。
以来、郷土の役に立ちたいと念じ歩んで参りました。
市議時代には港湾開発の重要性を主張し、釜石港湾計画の策定に尽力。
現在、事業が進捗し岩手県を代表するコンテナ積出港となり、ボートオブザイヤーを受賞、感無量な想いで一杯です。




政治変革期
平成11年、当時の野田武義市長の後継指名を受け、37才の青年市長を目指しましたが、己れの力不足を痛感。そこで、新仙人道路事業に多大な政治力を発揮して頂いた衆議院議員小沢一郎先生に入門、私設秘書を皮切りに2010年3月に退任するまで、公設第一秘書として国政、県政の下働きに奔走しました。
政治変動期
平成23年3月11日、東日本大震災津波で先祖伝来の本宅を消失するも、秘書で培った経験と人脈を生かし、避難所、仮設住宅の生活支援に尽力、また、策定された復興計画に基づき、地元松原町にセブンイレブンを開業。
加えて市内中心部では、旧ニチイ跡地を所有していたホテルルートインを旧国際会館跡地に誘致、市への協力を取り付け、市民ホール“テット”を当初の計画通り建設することに貢献しました。





政治熟成期へ
令和5年8月。震災から12年が経過し国会では復興予算を防衛費に転用するなどの議論が始まっています。国から大型予算が投入される時代は終わりました。言わば復興第二章を迎え、これからは地域の知恵と力量が大きく問われることになります。
私、大久保たかのりは、市議時代から取組んできた地域づくりへの想い、そして、秘書時代に永田町のみならず全国を飛び回ったその全ての経験と知見を活かし、釜石・大槌地域の復興推進、郷土創生に全力で取り組んで参ります。皆さまのご理解とご支援を心よりお願い申し上げます。